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2015年1月11日日曜日

激動の2014年を、500枚の flickr 写真で振り返る

昨年から始めた、1年間撮り貯めた flickr 写真の中から500枚を選択して、その1年を振り返るアルバムに纏める、という 恒例行事。

海外での仕事としてはいつもの通りサンフランシスコ、ニューヨークに複数回出張し、昨年はボストンへも足を伸ばしている。(仕事関係の写真は載せられないので、街の風景が中心になるのだが。)

プライベートの海外行では25年振りに、商社勤務時代の駐在場所、東マレーシア・ボルネオ島の表玄関、コタキナバルへの家族旅行を実現。マレーシア航空機が行方不明になった直後に MH で往復、という不幸な偶然はあったが、25年を経て大きな産業発展、観光地としての充実を見せるコタキナバルの街に強い感銘を受けた。近年世界遺産となったキナバル国立公園で、初めてラフレシア、世界最大の花、を見学する事も出来た。写真には無いが、長男、長女もそれぞれスコットランド、オーストラリアでのホームスティ、短期留学を初めて体験し、国際人への第一歩を歩み始めた。

国内では、2014年前半は、ほぼ毎週末長野に出かけて、長年の懸案だった山小屋のリフォームを完了。古びた屋根も張り替え、内装も新しい材木で一新して、ようやく使える状態に復旧。2015年はようやく活用出来そうだ。長野の往復そのものを楽しむ為、愛車も思い切ってオープンカーのコペンに切り替えた。「4輪のバイク」的な軽快さで、関越で外気を感じながら走れる様になった。

そして個人的に最も嬉しかった出来事は、大分県宇佐出身の高祖父、三大疎水技術者の南 一郎平(みなみ いちろべい、後年、「尚」(ひさし)に改名)の足跡を京都、大分・宇佐と複数回尋ねる事が出来た事。(南一郎平に関しての詳細は、こちらの大分県の PDF 資料を参照頂きたい)

2014年春は、その後2015年新年に復活した「ブラタモリ」でも偶然採り上げられていた京都の琵琶湖疎水に関して、南禅寺の境内を貫く「水路閣」や「琵琶湖疎水記念館」を訪ね、高祖父が記した最初の調査報告書、「琵琶湖水利意見書」の写しを見る事が出来た。琵琶湖疎水の完成により、水力発電、工場への電気の供給、市電の開通等へ繋がった歴史を、京都の街を南禅寺から銀閣へと流れる琵琶湖疎水沿いを散歩しつつ、現場で感じられた事は、大きな収穫であった。

そして昨年12月には、2013年秋から予備調査を行っていた、大分県・宇佐での高祖父による広瀬井出疎水工事の 足跡を、家族で訪ねる事が出来た。残念ながら大分県立歴史博物館は年末休みで閉館していたが、その近くにある南尚神社、その前を流れる広瀬疎水を見学。その後、宇佐神宮の大鳥居左手にある、広瀬井出疎水事業に関する、高祖父の顕彰碑を家族全員で見る事が出来た。長男・長女が今後成長し社会人として、自分の人生を賭して何を成すべきか、を懸命に考える段階で、高祖父が全財産を投じて難工事を完成させた疎水、そして周囲の台地に今も広がる豊かな農地の有様を自分の目で確かめた事を思い出してくれたら、と願う次第。宇佐への旅は、我々南家のルーツを探る旅となった。

2014年の500枚の写真は、そうした家族の思い出と、丸の内の四季折々の美しい変化を織り交ぜて構成した。よろしければこちらの flickr album を御覧下さい。

(尚、一昨年の、2013年の500枚、はこちらの flickr album からどうぞ。)



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